いよいよ離婚かという段階になって、夫 「本当は君のお姉さんとあのまま結婚したかった」と打ち明けてきました。
元夫はもともと姉の婚約者で、親の取引先のご子息でした。
姉が子供を望めない体だとわかった時に破談となり、行き遅れ寸前だった私が姉の代わりに彼に嫁いだのです。
その当時は私自身、毒親に洗脳されていたこともあり、親の言いなりになって結婚しました。
職歴なしの家事手伝い・不細工女もらってくれて、むしろありがとうございますと言いたいくらいでした。
愛があるとは必ずしも言えない結婚生活でしたが、半年で妊娠判明。
さすがに喜んで夫に報告したけれど「それで?」と冷たい反応でした。
夫に言わせてみれば、夫婦ともに健康体で、やることやってたら普通に妊娠するでしょ、と。
まあそうだね・・・としょげつつも夫の言うことに納得して引き下がりました。
家に入れてくれて、私が働かなくても十分に暮らしていける環境を整えてくれました。
すぐに2人目も妊娠して、妊娠中の家事・育児が大変だと慌てていたら、「金で解決できることは金で」と
家政婦さんを入れてくれたので、とてもありがたかったです。
ただ私が2人目の妊娠中に体調を悪化させ入院した時は、一度も見舞いに来てくれませんでした。
「完全介護なんだから、素人の自分が行ったところで何もできることはない」と言って、私がいくら寂しいと訴えても
「仕事があるから」とばっさり切り捨てられました。
それでも無事に出産して退院し、長男と話していたら「お父さんとお風呂に入ったから寂しくなかった」と言うので
私がいないときは彼なりに頑張ってくれていたのだとわかりました。
ごめんなさい、勘違いして入れてしまいました。
先の投稿の名前のところは無視してください。
その関係も、結婚から4年目に夫の不倫が発覚して終わりました。
相手はなんと私の姉でした。
「どうせ妊娠しないのだから、外で遊ばせるくらいいいだろう」とは義両親の言葉です。
夫は最初、何も言いませんでしたが、いよいよ離婚かという段階になって、
「本当は君のお姉さんとあのまま結婚したかった」と打ち明けてきました。
親同士が決めたお見合いでも、夫は夫なりに婚約者を愛していて、私の姉も同様だったと。
そこで私の心は折れてしまいました。
義両親は跡取り息子(長男)さえ置いて行ってくれるなら、姉との再婚も認めてやるというスタンスでした。
裕福な義両親と夫のもとに子供を置いていけば、子供たちは幸せになれるだろうと考えたこともあります。
だけどやっぱり子は手放せなくて、親権は争うよ、と言いました。
夫にしてみれば、妻の初めての抵抗にあって驚いたのだと思います。
私の両親は相変わらずの毒親っぷりで、全て夫に差し出して、無条件に身を引けと言うのであてになりませんでした。
しかたなしに、市役所の紹介で弁護士を雇い、調停まで行きました。
最終的に、親権は夫、監護権は私、夫は私に養育費を支払い、私は定期的に夫と子供を面会させるという
条件で離婚しました。
離婚が成立して家を引っ越すのと同日に、姉が荷物を持って夫家にやってきました。
姉からはただ一言「ごめんね」と言われたけれど、私は結局「うん」と言えませんでした。
その後、なんとか仕事を見つけて働き続け、子供たちが手元を離れて、私もようやく1人の人生を送れることに
なったころに、義実家から元夫の死を伝えられました。
末期がんだったそうで、最後に子供たちと面会した時にはもう手遅れだったそうです。
夫に会った子供たちは「お父さん疲れてるのかな」と思った程度で、病気のことは気づかなかったそうです。
粛々とお葬式を済ませたのですが、相続の段になって、元夫の依頼を受けたという弁護士が遺言書を持ってきた
あたりで状況が変わりました。
元夫は自分の死期を知った時に、誰に知らせることもなく遺言書を作っていたそうなのです。
姉と子供だけでなく、私にも分与がありました。
遺言書とは別に、ベッドの上で書いたと思しきメモ書きに「(私)へ 本当にごめんなさい」と残されていました。
元夫は不器用な人だったんだなと、彼と離婚して以降初めて涙が出ました。
姉は私宛に財産分与があることに猛反発し、実両親・義両親と組んで、相続放棄するように迫ってきました。
子供たちが「お父さんの遺志をくんでほしい」と言っても無駄でした。
私は子供たちにさえ遺言書通り残してくれるならと、相続放棄しました。
なぜ放棄したかといえば、相続の話が出たころに、私に元夫と同じ病気が見つかっていたからです。
恐らく来年の今頃は生きていないでしょう。
余命宣告を受けて初めて、元夫の気持ちを本当に理解できたような気がします。
今にして思えば、私から元夫に愛情を示したことはほとんどありませんでした。
天国というものがあって、私
と元夫がそこで再会できたら、本当は愛していたことを伝えられたらいいなと思っています。
自分の人生をネットに投稿してみたいと思いながら、ずっと書き溜めていたので長くなってしまいました。
来月にはホスピスに入所することになっており、ネットは今日で解約ということになっているので
思い切って投稿してみました。
読みづらいところがありましたらご容赦ください。
ちなみに名前のところに最初書いた「96」というのは、私の名前から取ったあだ名でした。
他のところで名前を入れているのを見て自分も、と思ったのですが不要なんですね。
失礼いたしました。
末期がんだった方たちが高濃度ビタミンC点滴療法で完治した例、
低分子フコイダンでの回復例などを読んだところです
大金掛かりそうで、出来るかどうか迷っていますが、
さまざまな治療法があることを知り、気持ちが軽くなりました
ホスピスでもやれることないでしょうか?
ようやく様々なしがらみから開放されたのですから
この世での暮らしをもうしばらく楽しんでから、
元夫さんのところへおいでになるのは、いかがですか?
待っててくださると思いますよ
とにかく、お大事になさってくださいね!!
つたない投稿に優しいお返事ありがとうございました。
残念ながら、医者がはっきりともう手遅れと言い切る段階です。
子供たちの勧めでセカンドオピニオンもしましたが、どの病院でも「できることはありません」とのこと。
すでに日常生活すらおぼつかない状況で、仕事も辞めています。
これだけの文章を打つだけで、30分以上かかっているくらいです。
せめて痛みの少ない最期を、ということでホスピスへの入所を決めました。
恐らく、今年いっぱいも難しいでしょう。
元夫へ会えることだけを希望に、静かな最期を迎えたいと思っています。
>>133さんのお体がどうかよくなりますように。
一緒にがんばりましょうと言えなくて申し訳ございませんが、励ましとてもうれしかったです。
どうもありがとう。
どうぞお大事に。
奇跡が起きるよう、祈っています
元夫さんに会えますように!!!
や
元夫さんについて責めたい気持ちを持ってしまうのだけど
余計な事なので‥‥
どうか96さんが苦しみを感じる事の無い時間を多く過ごされる
ことを願っています。
お姉さん含む三者とも
本来なら自分の気持ちやタイミングが最大限優先されるべきことを
全く自分の思い通りにできず
そのせいで間に挟まれたような形になった旦那様は
どちらに対しても違う形で思いやりと申し訳なさと後悔とが入り雑じった複雑な気持ちを持たれていたのでしょうね。
一度親が決めてそれに従った形とはいえ家族になる覚悟決めたのに
あ、やっぱこっちね、と物のように覆して決め直されたらその状況自体にやるせなくなろうし
新しく迎えた人に何の落ち度もないけれど
かといって打ち解けて新しい家族との時間を心から楽しめるのか…と、
どっちに対しどう接し何をしてあげればいいか混乱しますよね。
中途半端なことをしたと言えばそうかもしれませんが
現実にはなかなか難しく白黒つけられることばかりじゃですし
遺される者各々に配慮した去り方をしたことが全てのように思います。
半端で無責任な人間はそんなことできません。
誠実さを持ちつつそれをきちんとした形で発揮できない境遇だったのでしょう。
最後にきちんとした言葉を受け取れて良かったです。
主張を見る限り両家ともなかなか強烈な家風なのに
お子さんが父親とお風呂に入ったことを素直に喜び
現在も遺言についてしっかりまっとうな意見を述べるなど真っ直ぐ育っている様子で
それはお二人が負の連鎖を断ち切ったからだと
96さんは勿論旦那様だった方も思いやりのある人間だった何よりの証だと思います。
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