朝目が覚めると部屋中煙だらけ。火事だった(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
当時住んでいた家は、祖父が昭和30年代に建てた土壁造りの家屋。
(諸事情により、私の部屋だけ木造)
そこの2階に各自の寝室があり、出火場所は玄関を入ってすぐ右手にあった仏間。
その真上が兄の寝室、奥が父の寝室、左手奥が私の寝室、母は1階奥の居間で寝てた。
我が家には階段が2箇所あり、私の部屋と兄の部屋からそれぞれ降りられるようになっていた。
朝目が覚めると部屋中煙だらけ。
魚の煙が家中に充満することがあったから、その日も兄が魚でも焼いてるのだろうと思った。
文句を言うため、階段のドアを開けるといつにも増して煙が凄い。
台所にいるだろう兄に向かって文句を叫ぶも返答なし。
というか自分の声が明らかに籠っていたから、聞こえてないんだろうなって思った。
仕方がないから父の部屋を通り、窓を開けながら兄の部屋側の階段で降りようと部屋の中を移動してたら
「火事だー!!!」
と男の人が周囲に知らせることが聞こえた。
「あー近隣で火災が起きてその煙が入ってきてるのか」
と他人事に思いながら壁に手をついたら熱い。
違和感を覚えながら父の部屋へ繋がるドアを開けたら、益々煙が酷くなり
煙の先にぼんやりとオレンジ色の光が見えて我が家が燃えてることに気付いた。
慌ててドアを閉めて階段のドアを再び開けると、白い煙の中に黄色い煙が混ざって昇ってきてた。
階段のドアも閉めて窓を開けてみたけど、外から黄土色の煙が入ってきたから窓も閉め、状況を妄想した。
「我が家が火事で、焼け残ってるのは私の部屋だけ。間もなくこの部屋も燃える」
もう死んだって思った。
携帯で助けを呼ぼうにも、コンセントに携帯を繋いでるから感電する
とバカな思い込みをしていて、携帯に触ることも出来ずw
焼死が1番きつい死に方だと数ヵ月前聞いたばかりだったから
「どうか一酸化炭素中毒で死にたい。焼死はイヤ!」
と思った時が1回目の修羅場だった。
死ぬ覚悟が出来たら案外落ち着けて、よくよく考えてみたら
「仏間方面が出火元で、もしかして左奥の部屋は無事なんじゃね?」
と思い、思い切って窓を開けて瓦の上に出てみた。
最初こそ濃い黄土色の煙に巻かれたけど、2~3歩歩いたら煙の濃度が薄くなり
「お嬢ちゃんが出てきた!こっちこっち!危ないから動かないでー!!!」
と駐車場を挟んだ向かいの方が大絶叫してくれて、色々あって屋根から降ろしてもらった。
消防と警察から何度も何度も事情聴取されたのが2回目の修羅場。
(完全に被害者扱いだったから、おじさん達みんな優しかったのが救い)
その後、兄と私は近隣にある親戚の家に暫く預けられた。
そこへ保険屋さんが事情聴取しに来たんだけど、起きたことを正直に話しただけなのに伯母から
「よく話せたねー!偉いねー!」
と小さな子供を褒める時みたいに大袈裟に褒められた。
当時、兄20歳私18歳だったのに。
「保険金目当てで放火したんじゃね?」
と思ったのが3回目の修羅場だった。
何が原因だったのか書いてくれなきゃイヤン
不審火だよ。
火災の7割だか8割だかが不審火(原因不明)って消防の人が言ってたらしい。(母親談)
引用元: ・今までにあった修羅場を語れ【その11】
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません